日々あれこれ

言葉一つの波紋

泣いた赤鬼を読んで

 筆者は以前に6年間、山形県にある小さな私立大学に教員として勤務していた。その縁で在任中に、山形県出身の童話作家浜田広介作の「泣いた赤おに」について臨床心理学の立場から話をしてほしいと広介童話研究会より依頼されたことがある。
 筆者はこの作品のあらすじは知ってはいたが、きちんと原作を読んだこともなければ、浜田広介については何の知識も持っていなかった。しかし、「泣いた赤おに」がなぜ今でも広く読み継がれているかについては興味を持ったので、この機会に原作に触れてみようと思い依頼を引き受けた。その後原作を読み、浜田広介について調べる中で、「泣いた赤おに」は最初は「おにのさうだん」のタイトルで1933年に発表され、翌年には「鬼の涙」と改題・書き直され、その翌年から「泣いた赤おに」として話の大筋は残されつつ、広介が80歳(1973年)の生涯を閉じるまでに、何度となく細部が改変されながら雑誌や本に発表され続け、今日に至っていることを知った。広介の没後40年を過ぎた今も絵本や童話集の形で発刊は続いている。また、2011年には「泣いた赤おに」の物語を下敷きにした山崎貴と八木竜一合同監督による3DフルCGの「friends もののけ島のナキ」が映画化されている。さらに2015年にはNHK山形放送局制作の「私の青おに」が放映されている。小学校の道徳の授業の資料としても1962年に文部省の「小学校道徳資料4小学校道徳読み物利用指導Ⅰ(低学年)」で取り上げられて以来、現在でも学校図書、光文書院、文渓堂、光村図書の副読本に入っており、対象も低学年から高学年に広がっている。道徳の資料としては簡略化されているが、2011年の教育出版の「小学校二年生」の教科書には全文が掲載されている。
 
 このように、今でも「泣いた赤おに」は読み継がれており、多くの方が物語を知っていると思うが、以下に物語の概要を紹介してみたい。
 
 村近くの山の崖に住んでいる若い赤鬼は、絵本に描いてあるような鬼とはだいぶ容姿が違っていたが、やはり目は大きくて頭には角の跡らしいとがったものがついていた。彼は、鬼だけでなく人間とも仲良くなりたいと思い、「自分がやさしい鬼であり、おいしいお茶やお菓子を用意しているので遊びに来てほしい」と立札を出す。しかし、村人は恐れて遊びに来ないので、腹を立てて立札をへし折る。ちょうどその時に、はるか山奥から訪れた友人の青鬼は、その理由を知って、自分が村で暴れるからそれを追い払う役を赤鬼が行い、村人の信用を得るようにしたらどうだろうと提案する。赤鬼は躊躇するが、「なにか、ひとつのめぼしいことをやり遂げるには、きっと、どこで、痛い思いか、損をしなくちゃならないさ。誰かが、犠牲に、身代わりに、なるのでなくちゃ、できないさ。」と、もの悲しげな目つきを見せて、青鬼は言い、実行する。その結果、青鬼を追い払った赤鬼を村人は信用し家へ遊びに訪れるようになり、赤鬼からお茶やお菓子をご馳走になる。しばらくして、赤鬼はその後青鬼が姿を見せないことが気になり、青鬼の家を訪ねてみる。しかし、青鬼の姿はなく、家の戸に「自分がいると君が村人に疑われるので旅に出るが、いつまでも君を忘れない。いつまでも君の友達 青鬼」と書いた張り紙がされていた。それを何度も読んで赤鬼は涙を流す。
 
 この物語が一般読者にも教育の場においても読み継がれてきた理由として、「青鬼の自己を犠牲にした献身的な友情」(文部省小学校道徳の指導資料 第2集1965)が読者の心に訴えることがあげられる。しかし、筆者は作品を読み返してみて、それに対する違和感とともに、様々な連想が湧いてきた。
 違和感の一つは、青鬼の一方的な行為である。自分が悪役になる提案をし、それに従った赤鬼が村人に受け入れられるという目的を遂げると、赤鬼に予告なく貼り紙だけを残して姿を消してしまうのである。この行為が「自己を犠牲にした献身的な友情」として読者の感動を引き起こすのであろうが、本来友情とは双方向的なものであり、青鬼の一方的な行為は赤鬼の意思を確認しない独善的なものにも感じた。実際、道徳教育の行われる学校現場でも、高学年になるにつれ「これが本当の友情と言えるのか?」ということが議論のテーマになってきているようである。個の尊重が謳われるようになった戦後の民主主義教育においては当然起きる疑問であろう。
 幼い子にとっては、青鬼が突然姿を消すことは、母親などの大事な人が突然いなくなるという対象喪失の不安を喚起するため、心に残る物語となっているのではないかとも感じた。この突然の別れによる物語の終結は、読者にその後の物語を様々に連想させる。実際にその後の物語がインターネットにいくつか示されている。この作品がその後の物語に自己を投影させやすいことも、この作品が今も広く読まれている一因になっているように思われる。
 筆者がこの物語を読んで一番心が動いたのは、主人公が鬼としては頭に角の跡らしきものがある中途半端な容姿をし、人との関りを求めながらなかなか受け入れられず悩んでいるところから物語が始まる点である。赤鬼の状況描写は、主に東北地方に伝承される「鬼の子小綱」の「片子(小綱)」を想起させる。「片子(小綱)」とは、宮城県仙台市に伝わる話では、鬼と日本人女性の間に生まれた半人半鬼の子どもであり、自分の母親を鬼が島から人里に戻す手助けをしたものの、その姿から村人に受け入れられず、最後は自分の身体を犠牲にして鬼から親を守り自殺する話として残っている。この話から、「片子」とは、鬼の社会にも人の社会にも帰属できないことから、パークの言う「異質な諸社会の境域に立ち、いかなる社会にも十分に帰属できないマージナル・マン(周辺人・境界人)」と解釈できよう。現代のマージナル・マンの例としては、白人と黒人の混血児ムラトー、西洋人と東洋人の混血児ユーラシアンなどが挙げられる。
赤鬼も典型的な鬼とは容姿が異なり、青鬼のように村からはるか離れた山奥に住むのではなく、村近くの山に住んで村人と交流を持つことを願いながら受け入れてもらえぬ状況を考えると、容姿の点でも社会への帰属という点でも「マージナル・マン」として解釈できないであろうか。マージナル・マンは片子のように差別の対象となる。村人が赤鬼の家を訪れるようになっても、赤鬼だけが村人を接待する一方的な関係は、両者が差別を前提に関係を持つようになったとも考えられる。島崎藤村の「破戒」の中に、一般人は穢多の家を訪れても穢多の出す茶は飲まないので、穢多の方もあえて茶は出さない習慣が描かれているが、村人が赤鬼の茶や菓子を食べてあげるだけでギブアンドテークの関係が成り立ったとも考えられる。
 このようなことを考えると、「泣いた赤おに」を、社会に受け入れられない、移民や外国人や帰国子女や障害児者や不登校児など、現代の日本の問題と関連付けて読むこともできよう。また、作者浜田広介自身が赤鬼に投影されているのではとの連想が広がってくる。
 広介は米沢の旧制中学校に入学する時に家族から離れて母親の従妹のさよの世話になるが、その後すぐに両親が離婚し母親ときょうだいは家を去る。また、中学卒業後家族への想いを断ち切って上京し、後を追って上京したさよの援助を受けながら自分の身を立てるために精力を注ぐ。広介の娘である浜田留美は父の生涯について書いた著書(「父浜田広介の生涯 筑摩書房 1983年」)の中で、自己を生かすために家族との「断ち切りがたいきづな」を犠牲にして上京した哀しみを持つ父とこの作品を重ね、山形と東京の狭間で揺れる父を赤鬼の中に見ている。広介も以上の理由からマージナルな存在であったと言えよう。
それ以外に、父為助と関連付けることもできよう。為助は仕事を嫌い、家庭を顧ることがなかったために、広介の母やすと離婚に至る。その後、破産して村はずれの追兼(おっかな)橋(ばし)に掘っ建て小屋を建てて一人で住んだことから、村人に「追兼(おっかな)橋(ばし)の奇人」と呼ばれていたと言う。村里近くの山に住む赤鬼と重ならないであろうか。
 「マージナル・マン」はライフ・サイクルの視点から青年期を指して使われることもある。大人の文化や価値観を疑うことなく信じていた子どもの時期を脱し、大人の文化や価値観への不信・反発が生じる、子ども文化と大人文化の境界にいる青年を、レヴィンは「マージナル・マン」と呼んだ。エリクソンが青年期を「社会的責任を一時的に免除あるいは猶予され自分のアイデンティティを迷いながら探し求めているモラトリアム(猶予)の時期」と捉えた概念に近いものがある。
これを踏まえて、赤鬼を「ライフ・サイクル」の視点から大人になる前の青年期にある「マージナル・マン」として見ることも可能ではなかろうか。赤鬼が自分の「アイデンティティ」を、鬼のために良いことをし、人間とも仲良く暮らす存在になることに求め、立札に自分がやさしい鬼であることを記す。しかし、立札を読んでも警戒する村人に腹を立て、立札を引き抜いて踏みつけて割るほどの怒りを見せる。このように自分は良き鬼であると語りながら、意に反することに簡単に腹を立て良き鬼像が破綻をきたすなど、まだ求める自我像が内在化されていない青年期の未熟さを示す。この未熟さは、鬼を警戒する村人に対して、ただ立札を立てて待つだけで、他の主体的な働きかけに思いが及ばない点にも認められる。「君にすまない。」と言いつつ、青鬼の提案にあっさり乗って偽りの演技を行ってしまう所にも、赤鬼の主体的自我は感じられない。村人との交流が生まれるようになっても、先述したように赤鬼が村人に茶や菓子を一方的に供するだけである。村人が都合よくたかる描写であると感じる一方、赤鬼が村人と対等で双方向的な関係を結べない未熟さが窺える。
 青鬼が姿を消し赤鬼は友達を失うことになるが、ここで初めて赤鬼は真の孤独に直面し、自己についての内省が始まるのではなかろうか。今までは良き鬼とは何かを深く考えることもなく、自分はやさしい鬼と思い込んでいた。しかし、青鬼に去られたことで、赤鬼は自己の生き方に直面せざるをえなかったのではないか。青鬼は自分にとってどういう存在であったのか、偽りの演技をして村人の信用を得たことはどうであったのか、これから村人とどうつきあっていけばよいのかなど、赤鬼に多くの内省が生じ、アイデンティティ獲得へむけての自分の模索が始まるのではなかろうか。この作品はその後の赤鬼と青鬼の物語が次々と連想される性格を有している。マージナルな存在であることは、被差別的な立場に追いやられるだけでなく、脱差別の方向を志向することにもつながる。どちらの世界にも属せないが、逆に2つの世界に深く関わりながら、どちらにも埋没しないことで、自己の輪郭を明確にし可能性を広げていく物語を紡ぎだせるように思える。
 以上、赤鬼を中心にマージナル・マンの視点から書かせていただいた。青鬼については」トリックスター」や、広介がこの作品を書くきっかけになったと述べている「恵喜童子」の視点から考察したらおもしろいと思うが、長くなるので割愛し筆を置きたい。