日々あれこれ

言葉一つの波紋

小説家族1

 たけしは、窓の外がだんだん暗くなるのにドキドキしながら、テレビゲームの手を止めることができなかった。もう時計は午後7時を過ぎていた。「やばい。お母さんに怒られる。」冷や汗が脇の下から流れてきた。しかし、コントローラーを操作する手を止めることができずに、「あと1回」とゲームオーバーの度にゲームを繰り返した。時計はいつのまにか8時になっていた。こうたも、「そろそろママが仕事から帰ってくるから、もう帰って。」という始末であった。たけしは、両親が仕事で出かけていて家にいないので、自由にテレビゲームのできるこうたの家に学校の帰りに来ているのであった。「うん、わかった。」やっと、たけしもふんぎりがつく。お母さんの怒った顔が目に浮かぶ。「こうた君ありがとう!」と言って彼の家を飛び出し、家まで一目散に走る。

 玄関の扉をそーと開けて、「ただいま。」と蚊の鳴くような小さな声で言い、恐る恐るフロアにしゃがんで靴を脱ぐ。その時、頭の上から「何時だと思ってるの!こんな遅くまで連絡もしないで!」とお母さんの声が割れ鐘のように響いた。「ひぇー」とたけしはびっくりして腰を抜かす。「またこうた君の所でゲームやっていたんでしょ!」「家でやりすぎてゲーム取り上げられたのにまだこりないの。今日はお父さんに叱ってもらいますからね。夕食は抜き!せっかくたけしの好きなハンバーグ作ったのに。いいわ、明日のお父さんのお弁当のおかずにするから。」「そんな、殺生な!」「いいから自分の部屋に行って宿題しなさい!夕食はあげません!」「宿題はできたらお母さんに見せること。いいわね。」たけしはお母さんの剣幕に押されて、小さな声で「はーい。」と答えた。そして、おなかをグーグー言わせながら、宿題をやり終え、お母さんに見せた。しかし、その後会社から帰ってきたお父さんに、頭をげんこつでこつんとやられ、1時間もお説教を喰らった。「たけしは家でゲームは1時間と約束したのにそれが守れずにゲームを取り上げられたんだろ。友達の家で連絡なく遅くまでやるなんて、約束を守らない子なんてお父さんは嫌いだ!罰として明日の朝から1か月間、学校へ行く前に犬のピロの散歩をさせ、エサも食べさせてから学校へ行きなさい。」「えー、朝は忙しいから無理だよ。」「大丈夫、寝坊したらお父さんがたたき起こすから。少しお父さん、お母さんに決めたことを頑張ってる姿をみせてごらん。」ついにたけしもいやと言えずに、「はい。」と力なく答えた。

 ベッドに入ってもおなかがクーと鳴る。「おなかすいたなー。」「家はなんでこんなにうるさいんだろ。」「あーあ、こうた君みたいに、自由に何でもできる家の子になりたいなー。」たけしは自分の置かれた状況を考えているうちに悲しくなって両目に涙があふれてきた。しかし疲れていたせいか、いつのまにか深い眠りに落ちていった。

 窓から入る日の光で目が覚める。「あっいけない!今日から学校へ行く前にピロの散歩をさせるんだった。」たけしは、あわててパジャマから洋服に着替えて、顔を洗いに二階から下へ降りていった。お母さんがリビングの椅子に座って、ケーキを食べながらテレビを見て笑っている!「お母さん、朝からケーキ食べてんの?健康によくないって言ってたじゃん。」「あらたけしおはよう。食べたいもの食べるのが一番よ。あなたも朝食べたいものコンビニで買ってらっしゃい。はい千円。」「えー!お母さん作ってくれないの?」「今何でも売ってるんだから。作るなんてめんどくさいことしないわ。」たけしがリビングを見渡すと、テーブルの上には、食べたカップラーメンやケーキの容器がいくつもひっくり返っており、床にもポテトチップスやおせんべいの袋が散乱していた。「お母さん、部屋がごちゃごちゃで何か臭いよ。」「汚れや臭いで死ぬことないわよ。どうせまた散らかるんだから、掃除しても同じ。」「学校遅れちゃうから急いでピロ散歩させてくるよ。」「そんなめんどうくさいことしなくてもいいわよ。」「ピロだっておしっこやうんちしたいだろうし、健康のためにも散歩が必要だよ。」「散歩させなくても死ぬことないわよ。」なんかいつもと逆だ。お母さんが僕みたいなこと言って、僕はお母さんみたいなこと言ってる。「お父さんは?」「さあ?寝てるんじゃないの。」「えっ!会社は?」「さあ?行きたくなったら行くでしょ。」「あっもうこんな時間だ!学校遅れちゃうからピロ散歩させてくる。お母さん夕食食べてないからお腹ペコペコ。何か食べるものないの?昨日の夕食のハンバーグ残ってない?」「ハンバーグ?このところ料理ずっとしてないから、コンビニで買ったポテトチップスぐらいしか家にはないわよ。」「そんな!お母さんはポテトチップスばかり食べてってよく怒っていたじゃないの。」「そうだっけ?好きな物食べて好きなことをすればいいのよ。」

  お母さんと話していると頭がおかしくなる。急いでピロを散歩させ、ポテトチップスをお腹を満たすため口に入れて、あわてて学校へ向かって家を飛び出す。いつもおいしくて止めることのできないポテトチップスが砂のようにザラザラして味気なく感じる。授業中もお父さんやお母さんのことが気になって気になって先生の話に集中できなかった。僕たち5年生の担任になった大学卒業したばかりのやさしい女性の若山先生にも「たけし君どうしたの?ぼーとしておかしいよ。」と言われてしまった。

  授業が終わると、こうたがいつものように「たけし君ゲームの続きしようよ。僕の家へおいでよ。」と誘ってくる。何か胸騒ぎがするたけしは、「今日は帰るよ。」とこうたの誘いを断って一目散に家に向かって歩き出した。

  「ただいま。」玄関の扉を開けて声をかけるが返事がない。いつもはきちんと靴が並べられ、リビングに続く廊下もきれいにワックスがかかっているのに、玄関の靴はばらばらに倒れ、廊下には埃が浮かび、食べかすや菓子の袋が散乱している。たけしはお母さんに何かあったのではと不安でドキドキしてきた。靴を脱いで恐る恐るリビングの部屋を開ける。そこには!いつもは長い髪をきれいに束ねているお母さんの姿はなく、髪が鳥の巣のように絡み合い、口の周りにはクリームや食べカスがつき、目を充血させテレビをボーと見ているお母さんの姿が目に入った。「お母さんただいま。」お母さんはゆっくりと顔をたけしに向けるが目が虚ろですぐにはたけしと目が合わず、しばらくしてようやく「ああたけし。」と口を開いた。「お父さんは?」「さあ?」お母さんはいつもなら家族がどこで何をしているかをきちんと把握しているのに、全く関心がなさそうだった。たけしは書斎に行き、「お父さん」と声をかけてドアを開けた。お父さんはたけしに背を向けて椅子に座りテレビの画面を見ながらたけしから取り上げたテレビゲームに没頭していた。お父さんが振り向いてくれないので、もう1回声をかける。「お父さん。」「うん?おーたけしか、今大事なところだから邪魔するな。」「えっ!お父さんはゲームなんて勉強の邪魔になるって言ってたのに。」「面白いものやって何が悪い。邪魔するな。」

  お父さんもお母さんも、いつもは「たけし。」「たけし。」とうんざりするくらいうるさいのに、自分のことばかりで全く我が子に関心を示さず、たけしはとても寂しくなった。その時「クーン、クーン」と鳴く声が聞こえるので、ピロの入っているケージを見ると、水がなくなっている。「お母さんが水を足してくれなかったんだ。ピロごめんね。」たけしは容器に水を足すと、ピロは貪るようにペロペロ水を舐め続けた。「ピロもずっと僕が学校へ行っている間ほったらかしにされていたんだね。ごめんね。」たけしは水を飲み終えたピロを抱き上げてギュウッと抱きしめた。ピロはたけしをじっと見て、たけしの頬をペロペロ舐め始めた。「ピロいつもゲームに夢中になってピロを放っておいてごめんね。」たけしの目から涙がスーと一筋流れると、ピロはその涙を優しく舐め始めた。「ピロ散歩行こう。」たけしはピロを抱いたまま玄関へ向かった。まず、ピロと散歩をしながら、家に何が起こっているのか考えようと思った。